



農繁期には実家に帰って農作業の手伝いをしながら、わずかな時間をみつけて勉強に励む日々を送り、明治17年(1884)17歳のとき、静六は東京山林学校(後の東京帝国大学農科大学、現在の東京大学農学部の前身)に入学します。 
入学当初、レベルの高い山林学校の勉強についていくことができず、最初の期末試験に落第してしまった静六は、自殺をはかるものの死にきれず、思い直して必死に勉強し、ついには最優等生となりました。 
この結果、人間は努力さえすれば、必ず成功すると固く信じ、一心不乱に勉強に励みました。  
そして明治23年(1890)、東京帝国大学農科大学の卒業を待たずにドイツのターラント高等山林学校に留学した後、ミュンヘン大学に転学して財政学を専攻し、ドクトルの学位を得ました。
やがて、帰国すると、すぐに母校の東京大学で、造林学と林政学の講座を担当し、明治32年(1899)には、日本で最初の林学博士になりました。

人間が生きているということは、心で考えたり、身体を動かし働かせたりすることであり、この心の働きと身体の働きを合わせて一般に努力といっています。
 つまり努力は、人生の本能であり自然であり、全てです。大人の場合、この努力は、仕事(職業)を通じて、勤労という形であらわれます。 幸福の真価は、努力をしている人のみがわかるものです。 
筋肉(身体)の活動である労働と、知能(心)の活動である学問とは、一方に片寄らず並行的(併行的)に行うべきものです。
身体を使わずに、心だけを働かせていると、幸福・成功・長命の道に進むことはできません。 一生涯にわたって、この働学併進の生活を楽しむことが人生の真髄であり、幸福・成功・長命の秘訣なのです。 
不完全・不充分が人生の真相であって、不完全・不充分であるからこそ努力の必要があります。 
もし完全・充分なる天国や極楽浄土に到達してしまったとすれば、努力をする必要がなくなります。
「人生=努力」の考え方からすると、人生のなかで努力をすることは一生懸命生きるということにほかならないのです。 
偉大な成功者は、必ずしも生まれながらの天才ではありません。
普通の才能の人が、努力・精進している場合が多いのです。 
瓦はいくら磨いても玉(宝石)にはならないという人もいますが、人間は誰でも磨けば玉になる素質を持っています。玉になる速度や難易度に差があるだけです。
一心不乱に努力・精進することで、持って生まれた個性と才能を発揮していけばいいのです。 
人生訓の説明文は、博士の言葉を、現代語風にわかりやすくまとめたものです。
そのため、博士の言葉そのものではありません。
 引用:本多静六記念館企画展 「“人生即努力 努力即幸福” -本多静六博士の人生訓-」 解説シート

令和5年9月4日(月曜日)~令和6年1月15日(月曜日)先着順(注) 
(注)願書受付順(全ての必要書類が不備なく提出された順)に、出願資格について審査を行い、予約採用者を決定します。
予約採用者が定員を上回った場合、補欠採用となります。補欠採用者は、予約採用者から欠員が生じた場合に、繰り上がりで予約採用となります。 
令和5年度本多静六博士奨学生募集案内(PDF:1,706KB)(令和6年度採用の募集案内です) ※以下募集案内から抜粋 
 出願資格について(PDF:254KB)
 成績要件・推薦要件について(PDF:281KB) 
 世帯収入基準について(PDF:496KB) 
 連帯保証人について(PDF:291KB)※父母以外の連帯保証人を選任してください。機関保証制度はありません。 
 選考について(PDF:212KB) 
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